罪一等

(劉)更生父徳武帝時治淮南獄得其書。更生幼而讀誦以為奇、獻之、言黄金可成。上令典尚方鑄作事、費甚多、方不驗。上乃下更生吏、吏劾更生鑄偽黄金、繫當死。更生兄陽城侯安民上書、入國戸半、贖更生罪。上亦奇其材、得踰冬減死論。
【注】
服虔曰「踰冬、至春行𥶡大而減死罪。」如淳曰「獄冬盡當決竟、而得踰冬、復至後冬、故或逢赦、或得減死也。」師古曰「服説是也。」
(『漢書』巻三十六、劉向伝)

かの前漢の大学者劉向は、若い頃に錬金術の書を皇帝に献上して「黄金を練成することができます」と上奏したが、結果は上手くいかず、獄に下されて死罪にされそうになった。



そこで兄が自分の領地(劉向の実家は高祖劉邦の弟楚王劉交の子孫で列侯である)半分で罪を贖うことを申し出た。



また宣帝も劉向の才能を惜しんだということで、彼に対する処断は決裁が下りず、獄に繋がれて処断されないまま冬を越すこととなり、死罪から罪一等を減じられることになった。





漢代には、「冬を過ぎて春まで獄に繋がれたまま結論が出なかったら、春は寛大にするべき季節なので、死罪から減刑する」という制度があったようだ。