顔師古先生の先祖

顔含字弘都、琅邪莘人也。祖欽、給事中。父默、汝陰太守。
含少有操行、以孝聞。兄畿、咸寧中得疾、就醫自療、遂死於醫家。家人迎喪、旐毎繞樹而不可解、引喪者顛仆、稱畿言曰「我壽命未死、但服藥太多、傷我五藏耳。今當復活、慎無葬也。」其父祝之曰「若爾有命復生、豈非骨肉所願!今但欲還家、不爾葬也。」旐乃解。
及還、其婦夢之曰「吾當復生、可急開棺。」婦頗説之。其夕、母及家人又夢之、即欲開棺、而父不聽。含時尚少、乃慨然曰「非常之事、古則有之、今靈異至此、開棺之痛、孰與不開相負?」父母從之、乃共發棺、果有生驗、以手刮棺、指爪盡傷、然氣息甚微、存亡不分矣。飲哺將護、累月猶不能語、飲食所須、託之以夢。闔家營視、頓廢生業、雖在母妻、不能無倦矣。含乃絶棄人事、躬親侍養、 足不出戸者十有三年。
石崇重含淳行、贈以甘旨、含謝而不受。或問其故、答曰「病者綿昧、生理未全、既不能進噉、又未識人惠、若當謬留、豈施者之意也!」畿竟不起。
(『晋書』巻八十八、孝友伝、顔含)

東晋の代になって栄達した顔含という人物。


実は顔延之、顔之推、顔師古といった南北朝から唐代にかけての顔氏一族の開祖とも言うべき人物である。




彼は孝行者として有名であった。




ある時、医師の元で療養していた兄が病死したが、遺体を家に持ち帰る際に死んだはずの兄は遺体を運ぶ者の口を借りて「私は生きている。医療過誤で死にかけたが復活するから埋葬してはならん」と言い、また妻や母の夢に出て「棺を開けてくれ」と言った。



父はどうやらそれを信じなかったようだが、まだ若い顔含が開けるよう説得したため父が棺を開けてみたところ、息も絶え絶えであったが確かにまだ生きており、爪で棺の内側をひっかいて開けようとした跡が残っていたという。




その後、その兄は寝たきりとなり家族みんなで介護することとなったが、負担が重く母や妻でさえも音を上げたところ、顔含が全てをなげうって兄の介護に専念し、十三年間にわたって家の門を出ることさえなかったという。


だが結局弟の介護も空しく、兄はついに起き上がることなく死亡してしまった。





医療過誤という現代的なテーマから死者の復活というオカルティックな話となり、また介護問題という現代的なテーマに戻ってくるという盛りだくさんなエピソード。






十三年間兄を介護し続けるという尋常ではない孝行に、ちょっとエキセントリックなところが無くも無い顔師古先生と同じ気風を感じたり感じなかったり。