昨日の続き

昨日の記事について、このようなご意見をいただいた。








朝議咸以為、春秋之義、齊崔杼・鄭歸生皆加追戮、陳屍斲棺、載在方策。(王)淩・(令狐)愚罪宜如舊典。乃發淩・愚冢、剖棺、暴屍於所近市三日、燒其印綬・朝服、親土埋之。
(『三国志』巻二十八、王淩伝)

在鎮見王敦畫像曰「敦大逆、宜加斲棺之戮、受崔杼之刑。古人闔棺而定諡、春秋大居正、崇王父之命、未有受戮於天子而圖形於羣下。」命削去之。
(『晋書』巻六十七、温嶠伝)

なるほど、この二つの記事を総合して考えると、孫峻(の遺体)が受けたのは棺を破壊して遺体を晒し者にされ、その上で土に埋める、という事になるな。



これはこれで古式ゆかしき処罰法だったようだが、昨日の記事で言ったような話ではなさそうだ。




というわけで、昨日の話は撤回とする。