三族

貫高等謀逆發覺、逮捕高等、并捕趙王敖下獄。詔敢有隨王、罪三族。
【注】
張晏曰「父母・兄弟・妻子也。」如淳曰「父族・母族・妻族也。」師古曰「如説是也。」
(『漢書』巻一下、高帝紀下、高帝九年)


「三族」とは、主に中国古代の刑罰において、本人ばかりではなく近親者も連坐させる際に出てくる用語である。
「罪三族」「誅三族」など、「三族」にまで刑罰が及ぶのである。


その「三族」とはどこまでの範囲を指すのか。
どうも後漢末の注釈者の時点で話が食い違っているのだが、顔師古先生は「父族・母族・妻族」だと言っている。



この根拠はこのあたりであろうか。

漢興之初、雖有約法三章、網漏吞舟之魚、然其大辟、尚有夷三族之令。令曰「當三族者、皆先黥、劓、斬左右止、笞殺之、梟其首、菹其骨肉於市。其誹謗詈詛者、又先斷舌。」故謂之具五刑。彭越・韓信之屬皆受此誅。
至高后元年、乃除三族罪・祅言令
孝文二年、又詔丞相・太尉・御史「法者、治之正、所以禁暴而衛善人也。今犯法者已論、而使無罪之父母妻子同産坐之及收、朕甚弗取。其議。」・・・(中略)・・・(陳)平・(周)勃乃曰「陛下幸加大惠於天下、使有罪不收、無罪不相坐、甚盛徳、臣等所不及也。臣等謹奉詔、盡除收律・相坐法。」
其後、新垣平謀為逆、復行三族之誅。
(『漢書』巻二十三、刑法志)

漢初、高祖劉邦は秦の厳しい法律を緩めたが、「三族」の刑罰は残っていた。
また「三族」の場合はただ処刑されるだけではなく、イレズミ、鼻斬り、足斬りの刑を与えた上で笞を打って殺すのだという。

しかしこの「三族」の罪は呂后の時代に廃止されたという。


そして文帝の時、文帝は「無罪の父母・妻子・兄弟まで連坐するのってひどくね?ちょっとその辺考えてみて」と丞相以下の大臣に命じた。
丞相たちと文帝のやりとりは省くが、最終的には丞相たちが折れた格好になり、「收律・相坐法」は廃止されたという。

おそらくこの「收律・相坐法」が父母・妻子・兄弟まで連坐させることを規定した法令なのだろう。


ということは・・・。

三族罪」と「收律・相坐法」=父母・妻子・兄弟はそれぞれ別の区分を指すと考えるべきだろう。
おそらくは「三族罪」の方がより広い範囲を指すと思われる。


つまり、「三族罪」=父族・母族・妻族という顔師古先生のファイナルアンサーが正しいということなのかもしれない。



なので、以前の記事(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20110504/1304438827)で「父母・妻子・兄弟(三族)」と書いたが、これは不正確だったかもしれない。

怪しいことを書いてしまい申し訳ない。