墓荒らしの書家

(鍾)繇見蔡伯喈筆法於韋誕坐上、自搥胸三日、盡逭因嘔血。太祖以五靈丹救之得活。繇苦求之不得。及誕死、繇令人盗其墓、遂得之。
(韋続『墨藪』用筆法并口訣第八)


三国志っ子ならみんな知ってる鍾繇



彼は書家としても当時も後の時代も有名だが、彼は蔡邕(字伯喈)の筆の運びを知りたがった。



そして彼はその蔡邕の筆になるものを韋誕が持っていると知ると大変悔しがり、自分で胸を叩きすぎたあまり吐血してしまい、曹操が助けてやるほどだったという。






そして鍾繇は蔡邕の筆法を知りたいあまり凶行に及ぶ。



韋誕が死去すると、人を使って韋誕の墓を暴いてそこから蔡邕の書を奪い、そこから蔡邕の筆法を我が物としたというのである。





この話はどうも韋誕と鍾繇の死亡年などを考えるとつじつま合わないような気がするので、事実ではない風説、面白エピソードの類の可能性が高いのだろう(編者が韋氏なので韋氏に対する身びいきが入っているかもしれない)。




もしこの話が事実に基づくエピソードだとすれば、実際は韋誕ではなく韋端の墓を暴いた、などと考えればつじつまが合わないこともない。





鍾繇は私生活ではどうもエキセントリックな言動の奇人っぽいところがあるので、こんなことがあっても不思議でもないかな、とちょっと思わないでもない(小声)。