血は争えない2

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晉文帝與二陳共車、過喚鍾會同載、即駛車委去。比出、已遠。既至、因嘲之曰「與人期行、何以遲遲?望卿遙遙不至」會答曰「矯然懿實、何必同羣?」帝復問會「皋繇何如人?」答曰「上不及堯・舜、下不逮周・孔、亦一時之懿士」
(『世説新語』排調第二十五)

晋の文帝司馬昭および陳泰・陳騫にからかわれ、「遙遙」すなわち父である畜生の諱と同音を避けずに使われた鍾会は、ひるむどころか陳騫の父陳矯、陳泰の父陳羣、そして司馬昭の父司馬懿の諱をそれぞれ使ってやりかえした。




また、司馬昭が懲りずに「皋繇はどんな人物であろうな?」とまた畜生の諱を避けずに使ってくると、「当時の大人物(懿士)でございます」と司馬懿の諱を使って答えたのだった。



まあ鍾会らしいエピソードだが、なんというか周囲も彼と仲がいいんだか悪いんだかよくわからなくなる。





鍾毓為黄門郎、有機警、在景王坐燕飲。時陳羣子玄伯・武周子元夏同在坐、共嘲毓。景王曰「皋繇何如人?」對曰「古之懿士」顧謂玄伯・元夏曰「君子周而不比、羣而不黨」
(『世説新語』排調第二十五)

で、これとまるで同じような事を、鍾会の兄の鍾毓もやっていたという。



司馬師に「皋繇はどんな人物であろうな?」と聞かれると「当時の大人物(懿士)でございます」と答え、更に自分を笑っていた陳泰と武陔(武周の子)に対して「君子は公平で偏らず、群れても朋党は作らない」と、陳泰と武陔それぞれの父の諱を使って言ってやった。






この時代は大抵の人がお互いにこんな感じだったのか、それとも畜生ファミリーには風当りが強かったのか、ここからだけではよくわからない。



ただ、父と弟に挟まれてわりと大人しい印象のある鍾毓も、色々な意味で同じ血が流れているんだなあ、と実感するエピソードであるということは言えるだろう。