涼州刺史のたったひとつの冴えたやり方

(左)昌坐斷盜徴、以扶風宋梟代之。梟患多寇叛、謂(蓋)勳曰「涼州寡於學術、故屢致反暴。今欲多寫孝經、令家家習之、庶或使人知義。」勳諫曰「昔太公封齊、崔杼殺君。伯禽侯魯、慶父簒位。並見史記。此二國豈乏學者?今不急靜難之術、遽為非常之事、既足結怨一州、又當取笑朝廷、勳不知其可也。」梟不從、遂奏行之。果被詔書詰責、坐以虚慢徴。
(『後漢書』列伝第四十八、蓋勲伝)

後漢の蓋勲という人物が涼州の漢陽郡長史であった時、涼州刺史が汚職を理由に更迭され扶風の人宋梟に交代した。



この宋梟なる人物はこう言ったという。



涼州には学問が普及していないから反乱が頻発するのだ。『孝経』の写本を大量に揃えて家々に学ばせるようにし、民草に忠義の心というものを教えてやろうではないか」




蓋勲はそれに真っ向から反対した。



「学問が盛んだった斉でも魯でも謀反は起こっております。乱を抑える施策に優先して今までやったことのない新たな試みを行うのは、既に州の恨みを買っている上に、朝廷に笑われる結果となるばかりですぞ」



宋梟はその反対を押し切って朝廷に自分の『孝経』普及政策を上奏したが、朝廷の怒りを買って更迭されたという。






これ知ってる。



若者が犯罪起こすと自衛隊とか農村で教育させろと言い出す発想や。




こういう人物が涼州刺史やってる内は乱も収まらないよなぁ・・・。