『史記』項羽本紀を読んでみよう:その22

その21(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20180910/1536505291)の続き。





項王使人致命懷王。懷王曰「如約。」乃尊懷王為義帝。
項王欲自王、先王諸將相、謂曰「天下初發難時、假立諸侯後以伐秦。然身被堅執鋭首事、暴露於野三年、滅秦定天下者、皆將相諸君與籍之力也。義帝雖無功、故當分其地而王之。」諸將皆曰「善。」
乃分天下、立諸將為侯王。
(『史記』巻七、項羽本紀)

項羽、楚の懐王を「義帝」とする。




楚が秦を滅ぼしたので、楚王は秦の次の「帝」なのだ、という事なのだろう。


項羽遂西、屠燒咸陽秦宮室、所過無不殘破。秦人大失望、然恐、不敢不服耳。
項羽使人還報懷王。懷王曰「如約。」項羽怨懷王不肯令與沛公倶西入關而北救趙、後天下約。乃曰「懷王者、吾家項梁所立耳、非有功伐、何以得主約!本定天下、諸將及籍也。」乃詳尊懷王為義帝、實不用其命。
(『史記』巻八、高祖本紀)

なお、高祖本紀の方ではこの辺についてこう語っている。



懐王が項羽に「約の通りにしろ」すなわち劉邦を関中の王にしろ、と命じたが、項羽は元々懐王によって秦攻めを外された事を恨んでおり、「懐王は俺の家の項梁が立てただけで功績もないのに盟約を守らせようというのか。天下を平定したのは諸将と俺の力だ」と言った。そして懐王は「義帝」にしたが、実際にはその命令を聞かずに勝手に行動したのだ、と。




おそらく、「義帝」とする代わりに楚王としての権限を手放すようにさせたのだろう。



そして、空いた楚王のところには自分が入ろう、という事なのだろう。