章邯のハマり手

當是時、燕・齊・楚聞趙急、皆來救。張敖亦北收代兵、得萬餘人、來、皆壁餘旁、未敢撃秦。
(『史記』巻八十九、張耳陳余列伝)

先日も話題にしたが、秦末に趙を復興させた陳余と張耳は章邯率いる秦軍に攻められることとなり、張耳は鉅鹿に籠城するも秦に攻囲されて完全に孤立した。



陳余や楚などの救援軍は秦軍に当たるのを避けて攻囲の外側から見守るばかりであったという。






この状況について考えてみる。



思えば、この戦場だけで見れば、このまま秦に張耳が討たれるのを待っていても、陳余たちは完全にジリ貧である。



今度は陳余や楚や斉が攻撃される番に決まっているからだ。


張耳攻囲に兵を取られる今が撃退の最後のチャンスかもしれないではないか。



援軍でしかない楚はともかく、本国が戦場になっている陳余まで傍観するというのは不思議な感じもする。






ではなぜ各国は傍観を決め込んだのか。




それはやはり、趙にしろ楚にしろ秦本国へ兵を派遣している(趙の司馬卬、楚の劉邦)からであろう。


その軍が秦にとって脅威に思われれば、章邯軍は転身して本国救援と征秦軍攻撃に移ることになるだろう。

そうすれば鉅鹿と張耳は助かることになる。



それに、そこを狙えば強盛を誇る章邯軍に強烈な一撃を与えることもできるだろう。背後から襲うことになるからだ。

だがそのためには、その時までは兵力を温存していなければいけない。




また、征秦軍が有効に機能するためには、章邯の大軍が東で釘づけになっている方が都合がいいに決まっている。


鉅鹿救援軍としては、むやみに決戦に打って出て敗北し、征秦軍も各個撃破されるようなことは避けなければいけない。

逆に、章邯を周囲から取り囲みつつも傍観し転身を待ち構えることで章邯と秦本国の連携を妨害する方が有効だろう。




つまり、「魏を囲んで趙を救う」の変形なのではないか、ということである。


実は、章邯は秦打倒のための策にハマっていたのではないか、とも言えるのかもしれない。