韓・魏・趙の王

秦の滅亡後、項羽により全国各地に新たな王が封建されることとなった。




元の韓の地には韓王韓成河南王申陽が立てられた。



韓成は張良の進言によって立てられた旧韓の王族である。



申陽は趙の張耳のおホモだちであったという。






元の魏の地には西魏王魏豹殷王司馬卬が立てられた。



魏豹は元々懐王に立てられた魏王であったが国を分割された。



司馬卬は以前の記事でも言っているように趙の将である。






元の趙の地には恒山(常山)王張耳代王趙歇が立てられた。



張耳は陳勝の乱の際に趙の王政復古を指導した人物であり、秦将章邯の攻囲を耐えて命拾いした。



趙歇は張耳らに立てられた旧趙の王族である。張耳と地位が逆転してしまったのだ。






こうしてみると、韓・魏・趙いずれにも趙の関係者が王に立てられているではないか。




項羽は韓・魏・趙においては旧王族・貴族といった勢力を趙、特に張耳に強い力を与えて監視させ抑えこもうと考えていたのだろうか。




だとすれば、陳余や殷王司馬卬が造反して趙から張耳が追い出されたというのは、項羽体制発足から一年も立たない内から体制そのものを揺るがすような、思った以上の大事件だったのかもしれない。