項羽と項伯の関係

項羽と劉邦」の時代に項伯という人がいる。




項羽の叔父でありながら劉邦側に通じ、最終的には完全に劉邦に取り込まれるという人物であり、まあ項羽から見たら絶対許さないリストに入っていそうである。





だが待ってほしい。



そもそも項羽劉邦が属していた懐王の「楚」は項梁が事実上建てたものと言える。



項梁は項羽の叔父なのだから、項伯と項梁というのは兄弟か、そうでなくとも同世代の近しい親族であることは確実である。




今のわれわれは項梁の死後、すべてを項羽が即座に当然のごとく引き継いだかのように思いがちだが、実際には全然そんなことはなかったことは史実が証明している



大体、いくら戦に強いとはいえ二十代かそこらの青年が壮年の近しい親族を差し置いて跡を継ぐ、というのもおかしいのだ。



項梁の反秦事業は、別に下の世代に相続しなければいけないと決まっているわけではないのだ。


原点に立ち返れば楚の将軍のものは楚王すなわち懐王が管理してしかるべきだろうし、親族間のこととしても年齢と世代でより近い項伯の方が適任だったのではないかと考えることができる。





項羽は権力と軍勢を事実上楚王から奪い取り、同時に彼を差し置いてトップに立つという形で項伯からも奪い取っているのだ。





項羽にとって項伯は信頼できる(はずの)叔父かもしれないが、項伯にとって項羽は自分が得られたかもしれないものを奪った憎むべき甥だったのかもしれない。




だとすれば、項伯の項羽に対する裏切り行為は単なる裏切りではなく、本人にとっては「先にアイツが裏切ったんだ。俺はアイツに奪われたものを取り返すだけなんだ」ということだったのかもしれないではないか。