呂后後妻説

とりあえず思いついたことをそのまま書いておこう。


まあ、どこかで誰かがとっくに言っているであろうことだけど。



漢の高祖劉邦の長男は斉王劉肥。

しかし彼は庶子と呼ばれ太子にはなれず、斉王となった。



彼には後継ぎの劉襄など10人くらいは子供がいたらしい。


劉章は呂后末期頃には20歳くらいにはなっていたようだ。



そこから逆算すると劉肥の誕生はかなり昔、劉邦が20代とか30代といった若い頃にさかのぼるんじゃないだろうか。



そしてその母曹氏というのは、明らかに呂后より先に劉邦と出逢っているわけであるから、単なる側室というのではなく、本当は「劉邦の最初の正妻」だったんではないか。

呂后は後妻なのだ。きっと。




今回はこれだけ。