似た者親子

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劉禅は晋に降伏して安楽公になった。


その安楽公劉禅は後継ぎとして当時の長子ではなく中子の劉恂を敢えて選んだらしい。




だがその二代目安楽公は「驕暴」「淫乱無道」であったとされ、蜀ゆかりの者たちが廃位を願い出ようとまで思ったそうだ。




後漢王得定陶戚姫、愛幸、生趙隠王如意。太子為人仁弱、高祖以為不類己、常欲廢之而立如意、「如意類我」。戚姫常從上之關東、日夜啼泣、欲立其子。呂后年長、常留守、希見、益疏。如意且立為趙王、留長安幾代太子者數
(『漢書』巻九十七上、外戚伝上、高祖呂皇后)

後衛太子敗、而燕王旦・廣陵王胥多過失、寵姫王夫人男齊懷王・李夫人男昌邑哀王皆蚤薨、鉤弋子年五六歳、壯大多知、上常言「類我」、又感其生與衆異、甚奇愛之、心欲立焉、以其年穉母少、恐女主顓恣亂國家、猶與久之。
(『漢書』巻九十七上、外戚伝上、孝武鉤弋趙倢伃)

ところで、君主が長子以外の子を敢えて後継ぎにしたがる時って、「君主が自分に似ていると思ったから」というのを割と見かける。




お?ということは「驕暴」「淫乱無道」の二代目さんは初代が「自分に似ていると思った」人物だったのかなぁ・・・?(憶測)