前漢の時代、都長安とその近辺の民政長官である京兆尹の趙広漢は、長安の游徼・獄吏の官秩を百石に増やすよう上奏した。
游徼は「お巡りさん」、獄吏はその名の通り監獄の役人と思えばいいだろう。
彼らは百石にも満たない官秩、つまり給料面でも待遇面でも極めて低い扱いの下っ端であったが、趙広漢は敢えて彼らの待遇を改善してやった。
それにより、長安におけるそれらの役人たちはそれまでよりも自重するようになり、法を曲げて人を逮捕・投獄するようなことが少なくなったのだ、という。
待遇が良くなったことで、それまでよりもその官が惜しくなって官を失うことをしなくなった、ということだろうか。