前漢滅亡の予言

(路)温舒從祖父受暦數天文、以為漢厄三七之間、上封事以豫戒。成帝時、谷永亦言如此。及王莽篡位、欲章代漢之符、著其語焉。
(『漢書』巻五十一、路温舒伝)


前漢宣帝頃の路温舒という人は、暦学・天文学を学んだ末に漢王朝は「三七の間」に災厄が降りかかるという予言をしていた。



大いなる孔丘先生も予言者だったので、儒者ならそれくらいの予言は出来ても不思議ではないのだろう。



「三七の間」とは、「3×7=21」ということで210年頃が厄年だという意味なのだそうだ。



高祖による建国から201年後が哀帝即位、211年後が平帝死去そして王莽へ・・・ということで、この予言は当たっていた・・・という解釈らしい。




この予言が以前よりまことしやかに伝えられていたとすれば、むしろ哀帝・平帝頃の世紀末な感じはむしろ「漢王朝、もうすぐ滅ぶってよ」という漠然とした予感が世間を覆っていたから、ということも言えるかもしれない。