竜か犬か

(孔)僖與崔篆孫(崔)駰復相友善、同遊太學、習春秋。因讀呉王夫差時事、僖廢書歎曰「若是、所謂畫龍不成反為狗者。」駰曰「然。昔孝武皇帝始為天子、年方十八、崇信聖道、師則先王、五六年輭、號勝文・景。及後恣己、忘其前之為善。」僖曰「書傳若此多矣!」鄰房生梁郁儳和之曰「如此、武帝亦是狗邪?」僖・駰默然不對。郁怒恨之、陰上書告駰・僖誹謗先帝、刺譏當世。
(『後漢書』列伝第六十九、儒林伝上、孔僖)


後漢明帝の時、儒者孔僖は友人の崔駰と『春秋』を学んでいて「呉王夫差ってのは『竜になろうとして上手く行かないと犬っころになってしまう』というやつだな」と嘆息した。


すると崔駰は「漢の武帝も最初は素晴らしい人物だったんだが、結局はアレさ」と言い、孔僖は「そういうことが書物にはたくさん書かれてるものだな!」と驚く。


それを隣で聞いていた梁郁という者が「じゃあ、武帝も犬っころってことかい?」と聞いてみると、二人は黙ってしまった。
たぶん、自分たちがヤバいことを口走っていることに気付いたのだろう。



仲間外れにされたことを怒ったのか、梁郁はこの二人の会話を「昔の皇帝を誹謗し、現代の事を批判しています」とお上に注進した。



その後、孔僖必死の弁解があって処罰されずに済んだが、勉強の場での他愛ない会話のつもりが首だけで夢でも見る羽目になりかねないところだった。




漢の武帝の評価の変遷を考える上で興味深い話。