親の因果が

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20120930/1348935255の記事なんだけど一つ気づいた。



その記事によれば曹操を守っていたのは許褚と虎士百名のみ。

そして許褚曹操を守るため船に乗り込もうとする味方すなわち虎士を殺したという。



太祖徇淮・汝、(許)褚以衆歸太祖。太祖見而壯之曰「此吾樊噲也。」即日拜都尉、引入宿衛。諸從褚俠客、皆以為虎士 。
(『三国志』巻十八、許褚伝)


許褚曹操を守るためにぶち殺したという虎士とは、許褚に従っていた侠客たちだった。


許褚曹操を守るという目的のためやむにやまれずの行為であったとはいえ、かつての仲間を斬り捨てていたのだ。



先命牙門將許儀在前治道、(鍾)會在後行、而橋穿、馬足陷、於是斬儀。儀者、許褚之子、有功王室、猶不原貸。
(『三国志』巻二十八、鍾会伝)


許褚の息子許儀は蜀攻めの際にヘマをして鍾会にサクっと処刑されている。


魏にとっての功労者がさっくりやられるのは魏王朝が風前のともしびって言う理由が大きいのだとは思うが、許儀をその父の所業ゆえに恨む者がいた、なんていう可能性も否定できないかもしれない。