劉備の新しい妻

魏略曰、太祖始有丁夫人、又劉夫人生子脩及清河長公主。劉早終、丁養子脩。子脩亡於穰、丁常言「將我兒殺之、都不復念!」遂哭泣無節。太祖忿之、遣歸家、欲其意折。後太祖就見之、夫人方織、外人傳云「公至」、夫人踞機如故。太祖到、撫其背曰「顧我共載歸乎!」夫人不顧、又不應。太祖卻行、立于戸外、復云「得無尚可邪!」遂不應、太祖曰「真訣矣。」遂與絶、欲其家嫁之、其家不敢
(『三国志』巻五、后妃伝、武宣卞皇后、注引『魏略』)

『魏略』によれば、曹操はそれまでの正妻丁夫人と離縁した。



その時の事として「欲其家嫁之」とあるのだが、この語の主語は曹操ではなかろうか。つまり「曹操は丁氏の実家が丁夫人を再婚させる事を望んだ」という意味ではないのだろうか?




曹操は離縁した丁氏がすぐに再婚してほしいと思っていた事になる。




これは現代だったら「早く俺の事を忘れて幸せになれ」みたいなハートフルな話だけで済ませられるのだが、こういう時代のこういう世界の話なので、それだけで済ませてよいのかは少々疑問である。




で、いくら離縁後とはいえ、当時の献帝政権トップの正妻だった人物が、そこらの馬の骨と再婚するという事はまずないだろう。実家丁氏だって、それなりの人物との縁組を望むに違いない。




曹操と並べてもそこまで見劣りのしない人物で、その時期の献帝政権に参画していて、さらに言えば正妻がいない事が丁夫人の新たな夫候補として望ましいだろう。



そして、献帝政権の重鎮と再婚するなら、曹操にとっても自分との縁故が出来るという事でもある。おそらく、曹操はそれを望んで丁夫人を再婚させたがったのではなかろうか。




そんな都合のいい人物・・・。

(呂)布虜先主妻子、先主轉軍海西。楊奉・韓暹寇徐・揚閒、先主邀撃、盡斬之。先主求和於呂布、布其妻子。先主遣關羽守下邳。先主還小沛、復合兵得萬餘人。呂布惡之、自出兵攻先主、先主敗走歸曹公。曹公厚遇之、以為豫州。將至沛收散卒、給其軍糧、益與兵使東撃布。布遣高順攻之、曹公遣夏侯惇往、不能救、為順所敗、復虜先主妻子送布。曹公自出東征、助先主圍布於下邳、生禽布。先主復得妻子、從曹公還許。表先主為左將軍、禮之愈重、出則同輿、坐則同席。
(『三国志』巻三十二、先主伝)

あ、いた。



劉備呂布に妻子を捕らえられている。戻ってきたとは書かれているが、少なくとも失われていた時期がある。



これなら、曹操劉備との一層の繋がりを期待して丁夫人の劉備との再婚を望んでも突飛な話ではないのではないか。丁氏が沛の大族なのだったら、予州牧劉備との縁組は丁氏・劉備双方にメリットがある。そして、間接的に曹操にとっても丁氏を通じて劉備との結びつきが強まるというメリットがある。



ちなみに、曹操の父曹嵩の正妻は丁氏とされているので、曹操にとって丁氏は「(元)妻の実家」だけではなく「母の実家」である可能性が高いだろう。丁夫人と離縁しても、そもそも丁氏とは縁が切れていないのだ。



曹操は自分に従うかどうか不安視されていた劉備との関係をより親密にするため、「母の実家でもっとも自分と縁がある女性」を劉備と結婚させて縁戚になろうとしたのではないか。




・・・という妄想。