刑法第三十七条第一項

太祖將北渡、臨濟河、先渡兵、獨與(許)褚及虎士百餘人留南岸斷後。超將歩騎萬餘人、來奔太祖軍、矢下如雨。褚白太祖、賊來多、今兵渡已盡、宜去、乃扶太祖上船。賊戰急、軍爭濟、船重欲沒。褚斬攀船者、左手舉馬鞍蔽太祖。船工為流矢所中死、褚右手並泝船、僅乃得渡。是日、微褚幾危。
(『三国志』巻十八、許褚伝)


三国志の時代の許褚曹操馬超らと戦った際、曹操を護衛して黄河を渡ることとなった。


兵士を先に渡らせて護衛の虎士100人ほどと自分だけが曹操を守っている状態になった時、馬超が攻めてきた。
絶体絶命である。



曹操と周囲は急いで船に乗り込んだが、船が定員オーバーで沈みそうになった。
しかも船の操舵手が矢に当たって死んでしまった。


そこで許褚は新たに船に乗ってくる者を斬って船の重量がこれ以上増えないようにし、左手で馬の鞍を持ち上げて曹操を矢からかばい、同時に右手では船を操り、なんとか河を渡ることができた。



許褚なしには曹操は死ぬところであったのである。



爭赴舡者、不可禁制、 董承以戈撃披之、斷手指於舟中者可掬。
(『後漢書』列伝第六十二、董卓伝)


後漢献帝董卓残党の李傕から逃れ長安を脱出した際、献帝が乗る船に従臣が自分も乗せろと殺到したため、董承は船に手を掛けて乗り込もうとしてきた者の手を武器で切り落として乗船を阻止した。

やむを得ない事情であるが味方を斬ったのである。




許褚が殺したのは、馬超軍の矢を避けて早く黄河を渡ろうとする曹操の兵である。

この時曹操の元にいたのは許褚と護衛の虎士たちと書かれているので、許褚が斬ったのは虎士だったのだろう。




つまり許褚と董承のしたことは同じ「主を守るための緊急避難」なのだが、何となく董承のしたことはやたらエグイことに見えて許褚は輝かしい英雄的行為に見える*1



面白いものだ。



*1:そう思えるのは自分だけかもしれないが。