『三国志』武帝紀を読んでみよう:その20

その19(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/12/23/000100)の続き。





五年春正月、董承等謀泄、皆伏誅。
公將自東征備、諸將皆曰「與公爭天下者、袁紹也。今紹方來而棄之東、紹乗人後、若何?」公曰「夫劉備、人傑也、今不撃、必為後患。袁紹雖有大志、而見事遲、必不動也。」郭嘉亦勸公、遂東擊備、破之、生禽其將夏侯博。備走奔紹、獲其妻子。備將關羽屯下邳、復進攻之、羽降。昌豨叛為備、又攻破之。公還官渡、紹卒不出。
(『三国志』巻一、武帝紀)

董承らの企みは露見。それを片付けた魏武は、今度は徐州で自分に背いた劉備を討つ事にする。



袁紹に対してはせっかく鄴の近くまで兵を進めていたわけだから、劉備には別軍を派遣しておいて魏武は袁紹に当たるべき、というのはもっともな意見に思える。



魏武や郭嘉としては、おそらくは劉備を放置すると手が付けられなくなり、最終的には献帝のいる許を脅かす事になるのではないか、あるいは魏武自身が挟み撃ちになるのではないか、といった点を重視したのだろう。ひとことで言えば劉備への評価が高いという事になる。



もし魏武がここで冀州を選んでいたら、もしかしたら袁紹は最初から苦戦していたかもしれない。だが、劉備が負ける事が無く、許の方が史実以上に危険な事になっていたかもしれない。もちろん、これは想像であるが。


表先主為左將軍、禮之愈重、出則同輿、坐則同席。袁術欲經徐州北就袁紹、曹公遣先主督朱靈・路招要撃術。未至、術病死。
先主未出時、獻帝舅車騎將軍董承辭受帝衣帯中密詔、當誅曹公。先主未發。是時曹公從容謂先主曰「今天下英雄、唯使君與操耳。本初之徒、不足數也。」先主方食、失匕箸。遂與承及長水校尉种輯・將軍呉子蘭・王子服等同謀。會見使、未發。事覺、承等皆伏誅。
先主據下邳。靈等還、先主乃殺徐州刺史車冑、留關羽守下邳、而身還小沛。東海昌霸反、郡縣多叛曹公為先主、衆數萬人、遣孫乾袁紹連和。
曹公遣劉岱・王忠撃之、不克。
五年、曹公東征先主、先主敗績。曹公盡收其衆、虜先主妻子、并禽關羽以歸。
(『三国志』巻三十二、先主伝)


劉備は敗北して妻子や関羽を捕えられてはいるが、これは魏武が敢えてこちらへ力を傾けたからであり、その代わりに魏武は袁紹に対しては軍の休息や再編成の時間を与えてしまった事になる。



また、この時徐州の郡県の多くが魏武に背いた(これまでに魏武がしてきた事を考えれば至極当然である)ともあり、確かに後回しにしていたら徐州は手が付けられなくなっていた可能性も高いのではなかろうか。鉄は熱いうちに打て、というヤツである。