霍光の後継者

元始二年四月乙酉、侯陽以光從父昆弟之曾孫龍勒士伍紹封、三千戸、王莽篡位、絶。
(『漢書』卷十八、外戚恩沢侯表、博陸宣成侯霍光)


王莽は権力を握るとかつて皇帝の輔政という同じ立場にいた霍光の家を再興させた。


霍光の子が謀反の罪で一族もろとも誅滅されて以来、当然その家も彼の爵位も失われていた。




再興された霍光の博陸侯を継ぐのは「光從父昆弟之曾孫」の霍陽なる人物。

霍光の父方の従兄弟の曾孫、だろうか。


恐ろしく血縁が離れているような気がするが、これは考えてみると仕方ない。
つまり、彼よりも霍光に近い血縁の者は基本的に全員が処刑されているはずだからだ。



それと、「龍勒士伍」というのも面白い。


「龍勒」とは敦煌郡所属の県で、玉門関があるあたりという西の果てである。


また「士伍」はhttp://d.hatena.ne.jp/T_S/20090512/1242061058で取り上げたように罪があって爵位を取られた場合の呼称。


つまり、彼は何か罪があって(おそらくは霍光とは関係のないところで)、敦煌郡のような西の果てに住まざるを得なくなっていたのだろう。




霍光の直系子孫が絶滅しているという事情のせいだとは思うが、最も血縁が近く後継者として最適とされたと思われる人物が最果てに流れていた元罪人、というのは面白い。