『漢書』王莽伝を読んでみよう:上その47

その46の続き。


司威陳崇奏、衍功侯光私報執金吾竇況、令殺人、況為收繫、致其法。
莽大怒、切責光。
光母曰「女自眡孰與長孫・中孫?」遂母子自殺、及況皆死。
初、莽以事母、養嫂、撫兄子為名、及後悖虐、復以示公義焉。令光子嘉嗣爵為侯。
莽下書曰「遏密之義、訖于季冬、正月郊祀、八音當奏。王公卿士、樂凡幾等?五聲八音、條各云何?其與所部儒生各盡精思、悉陳其義。」
(『漢書』巻九十九上、王莽伝上)

司威陳崇は衍功侯王光が私的に執金吾竇況に人を殺すよう求め、竇況はその者を収監して法で処断した、と上奏した。



王莽は大いに怒り、王光を厳しく叱責した。



王光の母は「お前は自らを長孫・中孫と比べてみてどうであるか」と言い、王光親子は共に自殺した。



当初、王莽は母への孝行、兄嫁への援助、兄の忘れ形見の養育で名を上げたが、その後に酷なことをするようになったが、それによって公を優先するという態度を示した。王莽は王光の子の王嘉に爵位を継がせて侯とした。



王莽は命令を下した。「(皇帝の喪のための)音楽を奏でない時期は晩冬で終わり、正月の天地への祭祀では八種の楽器が奏でられるべきである。王から三公九卿、士に至るまで、音楽はどんな等級があるだろうか。五音階、八種の楽器はどう分類されるだろうか。分担した儒者たちはそれぞれの思いを尽して正しいと思うところを言い尽くせ」



王莽、息子二人に続いて兄の子も自殺に追い込む。



この王莽の甥の王光というのは、上その2において「兄永為諸曹、蚤死、有子光、莽使學博士門下。莽休沐出、振車騎、奉羊酒、勞遺其師、恩施下竟同學。諸生縱觀、長老嘆息。光年小於莽子宇、莽使同日内婦、賓客滿堂」とあった、王莽が息子と同等以上に大事に育てたという人物であるから、王莽にとってはもはや我が子同然である。



王莽が育てた子供たち、ちょっと自殺()率高すぎじゃないですかね・・・*1

*1:わざわざ言うまでもないが、自殺を命じなければいけないようなことを次々やらかしたということなので、王莽は子育てを誤ったということが言えるだろう。