録尚書事

後漢において、「録尚書事」という地位があった。

外戚の権力者などがその地位に就いていることが多く、何か権力をもたらす地位なのではないかとは考えられるが、イマイチどんな地位(職)なのか分かりにくい。

庚戌、皇太后詔曰、・・・(中略)・・・其以(訒)彪為太傅、賜爵關内侯、録尚書事、百官總己以聽、朕庶幾得專心内位。於戲、羣公其勉率百僚、各修厥職、愛養元元、綏以中和、稱朕意焉。
【注】
古者君在諒闇、百官總己之職事以聽於冢宰。録尚書事則冢宰之任也。
(『後漢書』紀第四、孝和帝紀

癸丑、大司農尹睦為太尉、録尚書事。
【注】
録謂總領之也。録尚書自牟融始也*1
(『後漢書』紀第四、孝和帝紀


それについて、『後漢書』とその注ではこう言っている。



「古者君在諒闇、百官總己之職事以聽於冢宰。録尚書事則冢宰之任也」、つまり、太古の昔は君主が前の君主の喪に服している間は百官がそれぞれ自分の判断で動き、それぞれの職務について冢宰に判断を仰いだ。「録尚書事」というのは冢宰と同じ任務なのだ、と。


ということは、「録尚書事」は皇帝が喪に服している等の自力で判断できない時に皇帝が為すべき判断を代理する、という職務を担ったことになる。

*1:訒彪の方が先に録尚書事とされているような気がするが。