棺を奪う理由

牽招字子經、安平觀津人也。年十餘歳、詣同縣樂隠受學。後隠為車騎將軍何苗長史、招隨卒業。値京都亂、苗・隱見害、招倶與隠門生史路等觸蹈鋒刃、共殯斂隱屍、送喪還歸。道遇寇鈔、路等皆悉散走。賊欲斫棺取釘、招垂涙請赦。賊義之、乃釋而去。由此顯名。
(『三国志』巻二十六、牽招伝)


後漢末、牽招は師匠楽隠の遺体を運んでいたが、その道中で賊に出会った。


賊は楽隠の棺を破壊し釘を取ろうとしたが、牽招が泣いて頼んだのでやめたという。



賊の目的が「釘」であったということになる。それだけ金属不足だったのか、それともこの時の釘は高価だったのか。

この時代、墓を暴いて物資を手に入れていたという話があるようなので、前者だろうか。