国境線の呼び名

及文帝崩、景帝立、訒通免、家居。居無何、人有告通盜出徼外鑄錢、下吏驗問、頗有、遂竟案、盡沒入之、通家尚負責數鉅萬。
【注】
師古曰「徼猶塞也。東北謂之塞、西南謂之徼。塞者、以障塞為名。徼者、取徼遮之義也。徼音工釣反。」
(『漢書』巻九十三、佞幸伝、訒通)


漢代、中原から見て東北方面の匈奴などの北方の異民族との境界の外側を「塞外」と呼び、南西方面すなわち蜀に接する異民族との境界の外側を「徼外」と言った。



北方の境界には「塞」、すなわち長城があったが、南西方面の境界には長城があったわけではないため、北と南で境界線の呼び名が違うのだろう。