漢興、佞幸寵臣、高祖時則有籍孺、孝惠有閎孺。此兩人非有材能、但以婉媚貴幸、與上臥起、公卿皆因關説。故孝惠時、郎侍中皆冠鵔鸃、貝帯、傅脂粉、化閎・籍之屬也。
(『漢書』巻九十三、佞幸伝)
漢の高祖には籍孺*1、恵帝には閎孺という寵臣がいた。
彼らは皇帝と同じベッドで寝起きするほどの親密さ(意味深)だったので、大臣たちも皇帝に何かを申し上げる時には彼らに仲介してもらった、という。
恵帝の時には皇帝側近の郎や侍中は閎孺のような寵愛を受けようとこぞって化粧して着飾っていたという。
つまり、閎孺はそういうタイプの子だったということだ。