孝廉の数

初令郡國口滿十萬者、歲察孝廉一人。其有秀異、無拘戸口。
(『三国志』巻二、文帝紀、黄初二年)


魏では人口十万以上の郡・国に孝廉を毎年一人推挙させるようにした。

ただし特に優れた人物に限っては人口制限に関係なく推挙を認めたという。


人口十万に満たない場合、おそらく数年に一度など回数が減らされたのだろう。
ことによると、特に優れた者以外は推挙できなかった可能性もある。



http://d.hatena.ne.jp/T_S/20101016/1287156607http://d.hatena.ne.jp/T_S/20111016/1318698069で述べたような後漢代の孝廉制度と比べて人口制限が緩くなっているが、郡・国の数は細分化されて人口は減るという状況下なので、ちゃんと分析したわけではないのだが孝廉に推挙される数は従前よりかなり減ったのではないだろうか。