周公と召公

春秋公羊傳曰「自陝以東、周公主之。自陝以西、召公主之」不分南北何?東方被聖人化日少、西方被聖人化日久、故分東西、使聖人主其難、賢者主其易、乃倶致太平。
(『白虎通』封公侯)


周の武王が中国を東西に分け、東側を周公、西側を召公に司らせたという。



なんで南北に分けなかったのかというと、東方は聖人の影響をあまり受けてこなかった地域、西方は受けてきた地域なので、より立派な人物である聖人周公により困難な東方、周公ほどではない賢人召公に西方を任せたのだという。




おそらく聖人というのは周の文王などのことで、つまり周の元々の領土とそれ以外という分け方というのが実情なのだろう。


しかし西方がより早く聖人による教化が進んだ土地だ、という考え方は面白い。