猿を見て世を去る

華陽國志曰、(訒)芝征涪陵、見玄猿縁山。芝性好弩、手自射猿、中之。猿拔其箭、卷木葉塞其創。芝曰「嘻、吾違物之性、其將死矣!」一曰、芝見猿抱子在樹上、引弩射之、中猿母、其子為拔箭、以木葉塞創。芝乃歎息、投弩水中、自知當死。
(『三国志』巻四十五、訒芝伝注引『華陽国志』)


蜀漢の車騎将軍訒芝は、弩を使うのを好んでいた。

ある時、山で猿を見かけたので弩で射ったところ、矢を受けた猿は矢を抜き、木の葉で傷をふさいだという。

訒芝はそれを見て「俺は万物の本来のありように背いたことをしてしまったのだ。俺もうすぐ死ぬ」と悟った。


その話については、親子連れの猿を射たところ母に当たったのだが、子猿が矢を抜いて傷を手当したのを見て嘆息したのだという異説もあったらしい。




とにかく、訒芝はその猿を見て自分の死期を悟ったようである。


猿でさえも親子助け合い傷を手当するというのに自分は無益な殺生をしてしまったから天罰を受ける、といった考え方なのだろうか。