臨終の際に

世語曰、是時、當世俊士散騎常侍夏侯玄・尚書諸葛誕・訒颺之徒、共相題表、以玄・疇四人為四聰、誕・備八人為八達、中書監劉放子熙・孫資子密・吏部尚書衞臻子烈三人、咸不及比、以父居勢位、容之為三豫、凡十五人。帝以構長浮華、皆免官廢錮。
(『三国志』巻二十八、諸葛誕伝注引『世語』)


かの魏の明帝曹叡様こと烈祖様の時代。



あの諸葛誕や夏侯玄、そして劉放の子や孫資の子は「浮ついて実のない連中」という事で官界から追放されたのだという。




つまり烈祖様が追放したのである。





ところで、劉放や孫資は当時もそれ以降も烈祖様の詔書起草などの機密に預かり、烈祖様臨終の際に曹爽と司馬懿を次の皇帝の摂政として立てる上で重要な役割を果たしたという。





息子をそんな目に遭わせた張放人のために働き続けた劉放・孫資の心中いかばかりか。