孫秀と開府

伏波將軍孫秀以亡國支庶、府望不顯、中華人士恥為掾屬、以(陶)侃寒宦、召為舍人。
(『晋書』巻六十六、陶侃伝)


呉が平定された後の晋王朝


それまで驃騎将軍という高位だった呉の亡命皇族孫秀は伏波将軍となっていたが、特に開府を許されていた(『三国志』注引『晋諸公賛』)。



しかし、上に挙げたように彼の府は中原の名士たちからはブラック扱いされ、呉出身でかつ県吏という低い身分の出であった陶侃のような者しか召し抱えることが出来なかったということらしい。


晋王朝で呉の人間がどういう扱いだったのか、その一端が垣間見える。
まあ当然と言えば当然の事なんだろうけれど。