左駿伯

呉書曰、魏遣使者傅容・聶夔拜淵為樂浪公。淵計吏從洛陽還、語淵曰「使者左駿伯、使皆擇勇力者、非凡人也。」淵由是疑怖。容・夔至、住學館中。淵先以歩騎圍之、乃入受拜。容・夔大怖、由是還洛言状。
(『三国志』巻八、公孫淵伝注引『呉書』)


三国時代の遼東にいた公孫淵


魏は彼を楽浪公にしようとしたが、公孫淵は戻ってきた上計吏(郡の決算報告を中央に持って説明に行く使者)より「左駿伯っていう使者が怪力のとんでもない連中を選んでおります」という話を聞いてビビった。


使者との謁見の際に捕縛・暗殺されるのを恐れたのだろう。西域の楼蘭王はそれでやられているのだから。
公孫淵はやってきた使者を軍勢で取り囲んだ上で面会した。



ほとんど独立勢力であった公孫淵だが、上計吏は洛陽に送っていたようだ。



あと左駿伯は人名だと思うが結局何者だったんだ?