四征将軍の台所事情

魏略曰、舊故四征有官廚財籍、遷轉之際、無不因縁。而(趙)儼叉手上車、發到霸上、忘持其常所服藥。雍州聞之、乃追送雜藥材數箱、儼笑曰「人言語殊不易、我偶問所服藥耳、何用是為邪?」遂不取。
(『三国志』巻二十三、趙儼伝注引『魏略』)


三国魏の趙儼が征西将軍から中央に召還されて驃騎将軍になる際のこと。


趙儼が任地を離れた直後、「あれ俺が飲んでた薬どこ?いけね忘れちまった」と話した。


それを聞きつけた元任地雍州の人間たちは、薬がたっぷり詰まった箱を趙儼に幾つも送ってよこしたという。



『魏略』の説明によれば四征将軍の軍内の物資・財物を将軍が異動の際に勝手に持っていくなんてことは日常茶飯事だったらしい。
元部下たちは趙儼の言葉を「これまでみたいに官府の物資から送ってよこせよ」という要求と解釈したのだろう。


官有の財物を私的に流用・消費しているわけだから立派な違法行為であろう。
少なくとも漢代には官吏が官有の物を使い込む事を禁じ厳罰を与える規定があった(『漢書』景帝紀)。



もっとも豪族の私兵集団や山賊まがいの将軍も混ざっていたであろう混乱期ならそんなことを咎めようもなかっただろうから、この風習はそういう時代の残滓というところなのではないかと思われる。

おそらくは魏の四征将軍に限った話ではないのだろう。


ただ、中央政府(皇帝)としてはそれがいつまでも横行しているのを赦してはおけないだろう。

魏でも呉でも「校事」「点校」などと呼ばれる監察官が置かれたのはそういう事情だろう。


臣下の側でそれに対する拒否反応が強かったのは、臣下の側に上記の四征将軍のような「身に覚え」がありまくりだったからかもしれない。