盗掘王に、俺はなる(ドン!

廣川王去疾、好聚無頼少年、遊獵畢弋無度、國内冢藏、一皆發掘。
余所知爰猛、説其大父為廣川王中尉、每諫王不聽、病免歸家、説王所發掘冢墓不可勝數、
其奇異者百數焉。為余説十許事。今記之如左。
(『西京雑記』巻六)


前漢の広川王去疾*1は、領国内の古い墓を暴きまくったのだという。
諸侯王自身が率先してやっていたというのだから恐れ入る。

そのあとの記録によれば魏の襄王、哀王、袁盎、晋霊公、欒書などの墓を暴いたそうだ。毒ガスに悩まされたり中の人が長い時を経ても生きているかのような状態を保っていたり幽霊にたたられたり色々あったということである。



後漢末や三国時代曹操孫権なんかも墓暴きをしたと伝えられているが、おそらく財宝なんかは秦末や新末の混乱期と上記のような不届き者が既にあらかた取って行ってしまった後だったのだろう。

*1:漢書』景十三王伝では広川王去という者がいる。どちらが正しいかはともかく、この人物のことなのだろう。