氐言抵冒貪饕、至死好利。樂在山谿、本西南夷、別種號曰白馬、孝武皇帝遣中郎將郭昌等引兵征之、降服、以為武都郡。
(応劭『風俗通』佚文)
三国時代にも名前が出てくる「氐」。
応劭先生によれば「氐」という名前の由来は「法に抵触し貪欲」の「抵」(=「氐」)であることだという。
そして元は西南夷だったという。
三国時代で言うと「南中」あたりに主に住んでいた人たちである。
曹操の時に「氐」は多くがより内地に移住させられたとされる。
源流が中国最南端に近い西南夷であったものが三輔などの中心地まで行ったのだとすれば中々面白い。