趙達の能力

(高柔)遷為潁川太守、復還為法曹掾。
時置校事盧洪・趙達等、使察羣下。柔諫曰「設官分職、各有所司。今置校事、既非居上信下之旨。又達等數以憎愛擅作威福、宜檢治之。」
太祖曰「卿知達等、恐不如吾也。要能刺舉而辨衆事、使賢人君子為之、則不能也。昔叔孫通用羣盜、良有以也。」達等後奸利發、太祖殺之以謝於柔。
(『三国志』巻二十四、高柔伝)


後漢末、高柔が丞相曹操の法曹掾だった時のこと。



曹操は盧洪・趙達らを校事という職に就け、部下を監察させた。


高柔はそれを諌めた。
「官職それぞれに役割があるのに校事を置くのは上に居る者が下の者を信じるという主旨に反します。それに趙達たちは自分の個人的感情で権力を振るう連中なので、よく調べてみたほうがいいですよ」


曹操はそれに反論する。
「貴公は趙達たちを私ほどには知らんようだな。監察弾劾や種々の仕事を治めさせるのは、君子や賢者にはやらせられないのだ。昔叔孫通が群盗を推薦したようなものだな」(ドヤァ



そして後日、趙達らの汚職事件が発覚し、曹操は趙達たちを処刑して高柔に謝ったという。




孫権が校事呂壹を使った件と似たような批判と似たような結末をたどっているように見えるが、曹操のこの件は孫権のそれのようには悪く言われていないような気がする。