三公の次

皇后父兄、率為特進侯、朝會位次三公。故章帝啓馬太后曰、漢典舅氏之封侯、猶皇子之為王。」其功臣四姓為朝侯・侍祠侯、皆在卿校下
(応劭『漢官儀』)


漢においては、皇后の父や兄、即ち外戚を列侯に封建することが通例となっており、その地位も高いものであった。

王侯大臣大集合の際には三公に次ぐ席次(「特進」)だというのだから、その地位の高さがうかがえる。


また後漢の章帝によれば、「外戚を封建するのは、皇子が王になるようなもの」だという。


この地位の高さが権力に直結するわけではないが、漢代において外戚に高い地位と爵位を与えることが当然のこととされていたことは注目に値するのではないだろうか。