外戚封建のルール

太后曰「皇后兄王信可侯也。」景帝讓曰「始南皮・章武侯先帝不侯、及臣即位乃侯之。信未得封也。」竇太后曰「人主各以時行耳。自竇長君在時、竟不得侯、死後乃其子彭祖顧得侯。吾甚恨之。帝趣侯信也!」景帝曰「請得與丞相議之。」丞相議之、(周)亞夫曰「高皇帝約『非劉氏不得王、非有功不得侯。不如約、天下共撃之』。今信雖皇后兄、無功。侯之、非約也。」景帝默然而止。
(『史記』巻五十七、絳侯周勃世家)


漢の景帝の時、皇后王氏の兄王信を列侯に封建するかどうか、という議論があり、皇太后竇氏が封建を求め、丞相周亜夫が反対した。


この議論によれば、皇后の兄は「無功」であって封建にふさわしくないが、皇太后竇氏の時の例(景帝が即位してから封建された)からすれば、王皇后の兄も次の皇帝が即位して以降なら封建してもいい、ということになるらしい。




「皇后の兄弟」は封建できないが、「皇太后の兄弟」なら大丈夫、ということだ。


もしかすると、「皇帝の伯父(舅)」である、ということが重要なのかもしれない。



このあたりの感覚はちょっと面白いかもしれない。