後漢の諺

乃者邊害震如雷霆、赫如日月、而談者皆諱之、曰猋并竊盜。淺淺善靖、俾君子怠、欲令朝廷以寇為小而不蚤憂、害乃至此、尚不欲救。
諺曰「痛不著身言忍之、錢不出家言與之。」假使公卿子弟有被羌禍、朝夕切急如邊民者、則競言當誅羌矣。
(『潜夫論』救辺第二十二)


後漢の王符による『潜夫論』の一節。
王符は羌の反乱、侵攻に悩まされると共に後漢王朝からは放棄されたも同然の涼州の人間であることをふまえると、この文に込められた思いの重さを感じ取れるのではないだろうか。



昔、辺境の被害は雷のごとく朝廷を震わせ、太陽や月のように明らかだといういうのに、朝廷で議論する者たちはこのことを忌避し、たんなる群盗だとしか言わずにおり、朝廷に辺境への侵攻を過小評価させ、害がここまで大きくなってもなお涼州を救おうという気を起こさせないようにしていた。

諺に「痛みが自分の身体に及ばない者は『我慢しろ』と言い、金銭を自分の財布から出さない者は『これを与えてやる』と言う」というのがある。
もし大臣たちの子弟が辺境の民のように直接に羌の侵攻による害を受けたのならば、大臣たちは競って「羌を討伐しなければならない」と言ったことだろう。