明帝を評した人

世語曰、帝與朝士素不接、即位之後、羣下想聞風采。居數日、獨見侍中劉曄、語盡日。衆人側聽、曄既出、問何如。曄曰「秦始皇・漢孝武之儔、才具微不及耳。」
(『三国志』巻三、明帝紀注引『世語』)

即位したばかりの魏の明帝曹叡様をあの最初の皇帝にしてとても勤勉であった秦の始皇帝匈奴に勝ち漢帝国の版図を広げた漢の武帝になぞらえたのは劉曄だった、とされている。




或惡(劉)曄于帝曰「曄不盡忠、善伺上意所趨而合之。陛下試與曄言、皆反意而問之、若皆與所問反者、是曄常與聖意合也。復毎問皆同者、曄之情必無所逃矣。」帝如言以驗之、果得其情、從此疏焉。曄遂發狂、出為大鴻臚、以憂死。諺曰「巧詐不如拙誠」、信矣。以曄之明智權計、若居之以徳義、行之以忠信、古之上賢、何以加諸?獨任才智、不與世士相經緯、内不推心事上、外困於俗、卒不能自安於天下、豈不惜哉!
(『三国志』巻十四、劉曄伝注引『傅子』)

その劉曄には、「皇帝の気持ちを伺って迎合している」という悪評が立ち、明帝自身も疎んじるようになったという末路が待っているのだった。





劉曄の明帝評についても色々考えてしまう話である。