孝行者植生を変える

會稽人顧翱、少失父、事母至孝。母好食雕胡飯、常帥子女躬自採擷、還家導水鑿川 自種、供養每有嬴儲。家亦近太湖、湖中後自生雕胡、無復餘草、蟲鳥不敢至焉、遂得以為養。郡縣表其閭舍。
(『西京雑記』巻五)


前漢の会稽の人、顧翱。
彼は大変親孝行であった。


母はマコモの飯を好んでいたので、彼は自分と子女たちでマコモを摘み取り、家に水を引いてマコモを植え育てるようにした。

その後、家の近くにある太湖はマコモが自生するようになって他の草は生えず、虫や鳥もそれを食わなかったので、顧翱一家はそのマコモを母に食わせることができたという。
自然環境が激変してしまったのだ。水を引いたせいかもしれない。



それを聞いた郡や県は顧翱の親孝行を顕彰した。

つまり彼の孝心が天に通じ、天が彼のためマコモを増やしたと考えられたのであろう。




当時の会稽郡は三国時代の呉郡を含んでいるので、彼は呉郡の顧氏の先祖かもしれない。