占い師の脱出法

歩熊字叔羆、陽平發干人也。少好卜筮數術、門徒甚盛。
熊學舍側有一人燒死、吏持熊諸生謂為失火。熊曰「已為卿卜得其人矣。使從道南行、當有一人來問得火主未者、便縛之。」吏如熊言、果是耕人、自言草惡難耕、故燒之、忽風起延燒遠近、實不知草中有人。又鄰人兒遠行、或告已死、其父母號哭制服、熊為之卜、剋日當還、如期果至。
(『晋書』巻九十五、芸術伝、歩熊)

西晋の歩熊という人物は占いが得意で多数の弟子を抱えていたそうだ。



ある日、学舎のそばで火災があって一人焼死者が出たが、役人はこれを歩熊の弟子の誰かの失火だろうと考えた。



しかし歩熊は「南の方へ行き、もし『火事の犯人はわかりましたか?』と聞いてくる者がいたら、その者を捕まえなさい」とその役人に言い、役人はその通りにしたところ本当にその通りになり、捕まえた人間は焼畑で延焼させてしまったのだとわかった、という。




このように歩熊は優れた占い師、探知能力の持ち主であった。




趙王倫聞其名召之。熊謂諸生曰「倫死不久、不足應也。」
倫怒、遣兵圍之數重。熊乃使諸生著其裘南走、倫兵悉赴捉之、熊密從北出、得脱。
後為成都王穎所辟、穎使熊射覆、物無所失。後穎奔關中、平昌公模鎮鄴、以熊穎黨、誅之。
(『晋書』巻九十五、芸術伝、歩熊)

その後、かの八王の一人である趙王司馬倫が彼を招いたが、歩熊は弟子に「アイツは長くないから」と言ったという。



それを知った趙王倫は兵を出して彼の学舎を包囲した。




さあここをどうやって探知能力で切り抜けるのか・・・と思ったら・・・!



歩熊は弟子たちを南へ逃げさせ、兵たちが彼らを捕まえようとしているその隙に北から逃げる、という弟子の命を何とも思わぬクレバーな作戦で脱出したのであった。





ああそうか、この危機を予見して多数の弟子を集めていたのか・・・!!!(たぶん違う)