ふたりのロッテ

西京雑記』は晋の葛洪が「劉歆が漢の歴史書を書くためのノートが俺んちに伝わってたから抜粋するわ。原本?火事で燃えた」って語るという極めて怪しげな由来を持つ。
正直胡散臭さでいっぱいなので、これから紹介するのもまあそんなマジに信じなくてもいい。
あの顔師古先生は「浅俗」「妄説」と断言している。
ただ、紹介する内容はマジに信じないといけないような話でもないので、軽い気持ちで見てもらえばいいと思う。



霍將軍妻、一産二子、疑所為兄弟。
或曰前生為兄、後生者為弟。今雖倶日、亦宜以先生為兄。或曰居上者宜為兄、居下宜為弟。居下者前生、今宜以前生為弟。
時霍光聞之、曰昔殷王祖甲一産二子、曰嚚、曰良。以卯日生嚚。以巳日生良。則以嚚為兄、以良為弟。若以在上者為兄、嚚亦當為弟。昔許釐莊公一産二女、曰妖、曰茂。楚大夫唐勒一産二子、一男一女、男曰貞夫、女曰瓊華。皆以先生為長。近代鄭昌時・文長蒨並生二男、滕公一生二女、李黎生一男一女。並以前生者為長。
霍氏亦以前生為兄焉。
(『西京雑記』巻三)

霍将軍の妻が一回の出産で二人子供を産んだので、霍将軍はどちらを兄としようか迷った。

前漢の「霍将軍」だけでは霍去病なのか霍光なのか分からないが、この問題に決着つけるのが霍光ということは冒頭の「霍将軍」は霍去病ではないだろうか(追記:霍光のことかも)。


世間では「先に生まれた方が兄」説と、「胎内に先に入っていた方=後から生まれた方が兄」説の両方があったらしい。


しかし霍光は「昔から双子は先に生まれた方を兄にしている」と言ったので、「霍将軍」の双子も先に生まれた方を兄とすることになったという。



滕公すなわち夏侯嬰や(多分)霍去病(霍光?)には双子の子がいたというお話。