三国蜀の時代に杜瓊という人がいた。
彼は「代漢者當塗高也」という謎の預言について「當塗高って『魏』だよ」という、場所柄を考えるとなかなか大胆な解釈をかの有名な譙周に告げた。
更に「昔は官職の名前に『曹』なんて使わなかったのに、最近では『曹に属す(属曹)』とか『曹に侍する(侍曹)』とか言ってる。これが天の意思なんじゃね?」だの、「先帝の諱は『備』、今上の諱は『禅』。『備』は『備える』で『禅』は『授ける』だ。つまり・・・わかるな?」
などと次々と蜀漢をdisる言動を繰り返した。
まあちょっと中二病っぽく感じないでもない。
後宦人黄皓弄權於内、景耀五年、宮中大樹無故自折、(譙)周深憂之、無所與言、乃書柱曰「衆而大、期之會、具而授、若何復?」言曹者衆也、魏者大也、「衆而大」、天下其當會也。「具而授」、如何復有立者乎?
蜀既亡、咸以周言為驗。周曰「此雖己所推尋、然有所因、由杜君之辭而廣之耳、殊無神思獨至之異也。」
(『三国志』巻四十二、杜瓊伝)
そんな杜瓊氏の中二病気質に当てられた譙周さんは、杜瓊氏死後にこんな事件を起こした。
宦官黄皓が権力を握っていた景耀五年のある時、宮中の大樹が勝手に折れるということがあった。
そこで譙周さんは柱にこんな感じのことを書いたという。
「衆にして大。これに会せんと期する。備え、そして授けん。復するをいかんせん」
「曹魏に天下は集まろうとしてるよ!蜀漢は天下を曹魏に備えて授けようとしてるよ!もう助からないね!!*1」
みたいな感じだろうか。
柱にこんな予言詩みたいな形で書いたのは、ぶっちゃけどうにでも言い逃れられるようにだろう。
明確にこんな内容を上奏したら確実に命が無いし、それをするほど蛮勇ではない。さりとてこの解釈は是非とも披露してやりたい。
そういうことではなかろうか。
更にアレなのが、蜀が滅んでから「あれはスゴイ、予言だったのか!」という評判に対して譙周さんが言ったこと。
「あれ?あれは杜瓊さんの解釈を敷衍しただけなんだよねー俺が考えついたわけじゃないんだよねー」
うん、まあ、なんかアレ。
蜀の学者先生はこんな人ばっかりか?
*1:考えてみると天下は事実上魏じゃなくて晋に集まっていた最中なので、この予言は少々間違ってる気もしないでもない。