『史記』三王世家その3

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四月戊寅、奏未央宮。
「丞相臣青翟・御史大夫臣湯昧死言、臣青翟等與列侯・吏二千石・諫大夫・博士臣慶等議、昧死奏請立皇子為諸侯王。制曰『康叔親屬有十而獨尊者、褒有徳也。周公祭天命郊、故魯有白牡・騂剛之牲。羣公不毛、賢不肖差也。「高山仰之、景行嚮之」、朕甚慕焉。所以抑未成、家以列侯可。
臣青翟・臣湯・博士臣將行等伏聞、康叔親屬有十、武王繼體、周公輔成王、其八人皆以祖考之尊建為大國。康叔之年幼、周公在三公之位、而伯禽據國於魯、蓋爵命之時、未至成人。康叔後扞祿父之難、伯禽殄淮夷之亂。昔五帝異制、周爵五等、春秋三等、皆因時而序尊卑。高皇帝撥亂世反諸正、昭至徳、定海内、封建諸侯、爵位二等。皇子或在繈緥而立為諸侯王、奉承天子、為萬世法則、不可易。陛下躬親仁義、體行聖徳、表裏文武。顯慈孝之行、廣賢能之路。内褒有徳、外討彊暴。極臨北海、西溱月氏匈奴・西域、舉國奉師。輿械之費、不賦於民。虚御府之藏以賞元戎、開禁倉以振貧窮、減戍卒之半。百蠻之君、靡不郷風、承流稱意。遠方殊俗、重譯而朝、澤及方外。故珍獸至、嘉穀興、天應甚彰。今諸侯支子封至諸侯王、而家皇子為列侯、為尊卑失序。臣青翟・臣湯等竊伏孰計之、皆以為尊卑失序、使天下失望、不可。
臣請立臣閎・臣旦・臣胥為諸侯王。」
四月癸未、奏未央宮、留中不下。


武帝からまた「やっぱ息子たちは列侯ってことで」と却下された丞相たちがまた上奏した。

「陛下はかくかくしかじかで皇子を列侯にするようにと命じましたが、みんなで考えてみた結果、周の時だって漢の高祖の時だって幼い諸侯がいたし、どエライ今の皇帝陛下の皇子が列侯だったらみんなガッカリするし、諸侯王の分家でさえも諸侯王になっている者がいるのに、陛下の皇子が列侯なんてつり合いが取れないから、やっぱり皇子たちは諸侯王にするべきですよ」



しつこく皇子を諸侯王にすべきと言う丞相たち。
実際にはこれらすべてが「わかっててやってる」お約束という可能性が高いだろう。
こうやって皇帝の謙譲をアピールしているのだと思われる。

しかしその謙譲もここで究極の形を取ることになる。


つまり、再度の丞相たちからの要求に対し、あくまで皇子を列侯にとどめたい(ということになっている)武帝は、ついにこの上奏について回答を出さなかったのである。

この上奏は握りつぶされた。


さあどうする丞相?
「陛下ツンデレが過ぎるぜ・・・」とか思ったかもしれない。



次回へ続く。