『漢書』韋玄成伝その10

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20110616/1308150605の続き。

成帝崩、哀帝即位。丞相孔光・大司空何武奏言「永光五年制書、高皇帝為漢太祖、孝文皇帝為太宗。建昭五年制書、孝武皇帝為世宗。損益之禮、不敢有與。臣愚以為迭毀之次、當以時定、非令所為擅議宗廟之意也。臣請與羣臣雜議。」奏可。
於是、光祿勳彭宣・袪事滿昌・博士左咸等五十三人皆以為繼祖宗以下、五廟而迭毀、後雖有賢君、猶不得與祖宗並列。子孫雖欲襃大顯揚而立之、鬼神不饗也。孝武皇帝雖有功烈、親盡宜毀。

成帝が崩御して哀帝が即位すると、丞相孔光と大司空何武が上奏した。
「永光五年の制書では高祖を漢の太祖、文帝を太宗とすることとしました。建昭五年の制書では、武帝を世宗とするが、廟の増減の礼制については関与しない、としました。私どもが思いますに、廟の廃止制定はその時々に定めるべきもので、これは宗廟について勝手に議論するということではありません。群臣と宗廟の廃止制定について議論することをお許しください」
この上奏は裁可された。

その議論により、光禄勲彭宣たちは上奏した。
「太祖・太宗を継ぐ者以下は五廟を順番に交代していくものであり、賢明な君主がいたとしても太祖・太宗と並ぶことはできません。子孫が顕彰して太祖・太宗と並ぶ廟を作ったとしても、廟に祀られる神霊たちは受けないのです。武帝は輝かしい功績があるとはいえ、その廟は廃止すべきです」


以前、「孝武皇帝為世宗。損益之禮、不敢有與。」について「廟の増減についての礼は、世宗に及ぶことがないようにする。」といった訳し方をしたが、今回のところを読んで考え直してみると、逆かもしれない。
つまり、「武帝を世宗とするけれど、廟の増減についての礼は、特に影響しないよ」ということなんじゃないだろうか。

つまり誤訳してたんじゃないかと思う。ごめんなさい。



成帝が死に哀帝が即位。
ということは、また天子七廟に楽しい仲間が増えたことになり、廟から一人卒業することになる。
というわけで議論がまた始まる。

丞相孔光らは、以前に復活した「宗廟の事議論禁止」の命令をクリアするため、こんなことを言いだした。
「以前、武帝は世宗とするけど宗廟の廃止とかについては影響しないって命令が出てますから、宗廟の廃止制定については議論することが前提になっています。つまり宗廟の廃止制定は議論禁止の対象ではないのです」

この解釈改憲によって議論の俎上に乗るのは武帝の扱い。


武帝の父である景帝まで廃止されている今、廃止対象になりうる5廟は

  1. 武帝
  2. 昭帝
  3. 考皇
  4. 宣帝
  5. 元帝

ということになる。ここに成帝廟が入るのである。
順送りで行くと武帝が廃止ということになるが、今まで見てきたように朝廷の一部には武帝を特別扱いすべきという意見があり、実際に「世宗」という号を贈られている。
武帝廟を特別扱いとするなら、議論のタイミングはここしかない。


武帝廟を廃止するのか、それとも武帝廟を太祖・太宗と並ぶ永続廟とするのか。
これが問題だったのである。