ドクターコース

成帝初即位、舉為博士、數使録寃獄、行風俗、振贍流民、奉使稱旨、由是知名。
是時、博士選三科、高為尚書、次為刺史、其不通政事、以久次補諸侯太傅。
光以高第為尚書、觀故事品式、數歲明習漢制及法令。上甚信任之、轉為僕射、尚書令。
(『漢書』巻八十一、孔光伝)

漢の後半、成帝の頃のこと。


経書専門家として登用される博士。
この官は秩石で言うと当時「比六百石」*1で、当時の高級官僚としてはむしろ下の方に属する。



博士は経書の知識を基にした一種の政治顧問としての職務のほか、しばしば皇帝の命により各地への使者となり、冤罪がないかどうかの監査役や、当地の風紀が乱れていないかの監督といったことを皇帝の名のもとに行ったらしい*2


そして、そられの成績などを元に選抜され、高い評価だった者は尚書、それに次ぐ者は刺史となり、あまりそれらの政治向きの仕事が得意でないと思われた者は諸侯王の太傅になったという。

『続漢書』百官志によれば尚書、刺史とも「六百石」。
博士の次の官としてはどちらも順当なところであるが、成績によってここでもう差がついてくるのである。


博士という学究の職であっても、日夜生存競争、出世争いにさらされているのである。


そして、ぶっちゃけて言えば落第生扱いされた者はオーバードクター諸侯王太傅という名目上の地位はあっても実権や出世からはかけ離れたであろう官にしかなれない。
身につまされて笑えない話である*3


*1:『続漢書』百官志による。

*2:「行風俗」は「シティヘブン」などを片手に歓楽街へ繰り出すという意味にはならないことは言うまでもない。

*3:筆者にはもう全く関係ない世界ではあるが。