宮女の帯と昭帝の出生

(霍)光欲皇后擅寵有子、帝時體不安、左右及醫皆阿意、言宜禁内、雖宮人使令皆為窮絝、多其帶、後宮莫有進者。
(『漢書』巻九十七上、外戚伝上、孝昭上官皇后伝)

前漢の昭帝には子が無かった。
その皇后上官氏は祖父が当時の大将軍霍光であった。
皇帝の周囲の人間や医師は霍光の意に阿り、宮女たちにズボンを履かせたり帯を多くしたりした。
つまり「体調が悪いのだから身体を大事に」というのを口実にして皇帝が「行為」に及ばないようにしたというのである。

一般的には自分の孫娘に昭帝の子を産ませたいという霍光の意図からそうさせたのだと考えられるし、まあ自分もそういう意味だと思う。



だがそれだけでも面白くない。


大体、昭帝を擁立する霍光にしてみれば、自分の血を引く皇子を熱望するのは当然だが、昭帝に誰も子供が産まれなかったらもっと困るではないか。
自分の血を引く皇子を望むなら他にも親族や子女・孫を後宮に入れてやった上で、むしろ「行為」を推奨した方がいいのではないか。その方が「命中率」は高まるというものだ。


もしかしたら、霍光の真意は別にあったかもしれないではないか。

拳夫人進為祜礱、居鉤弋宮、大有寵、太始三年生昭帝、號鉤弋子。任身十四月乃生、上曰「聞昔堯十四月而生、今鉤弋亦然。」乃命其所生門曰堯母門。
(『漢書』巻九十七上、外戚伝上、鉤弋趙祜礱伝)

昔紹介したことがあったかもしれないが、昭帝には少々疑惑があった。
妊娠十四か月で出生したというのである。
父とされる武帝は「堯と同じじゃん!」と素直に喜んだというが、周囲はどう思っていたのだろうか。



武帝の子ではない、というか真の血統は劉氏ではないと思われる昭帝の血筋をこれ以上皇帝の座に置かないよう、敢えて子孫が繁栄しないように企んだ。
そんな下世話でひねくれた解釈をする人間が一人くらいいてもいい*1

*1:これはあくまでも妄想の類だと思ってください。そんな人いないとは思いますが真に受けぬよう。