天罰

堯曰「咨!爾舜!天之暦數在爾躬。允執其中。四海困窮、天祿永終。」舜亦以命禹。曰「予小子履、敢用玄牡、敢昭告于皇皇后帝。有罪不敢赦。帝臣不蔽、簡在帝心。朕躬有罪、無以萬方。萬方有罪、罪在朕躬。」周有大賚、善人是富。「雖有周親、不如仁人。百姓有過、在予一人。」謹權量、審法度、修廢官、四方之政行焉。興滅國、繼絶世、舉逸民、天下之民歸心焉。所重、民・食・喪・祭。𥶡則得衆、信則民任焉、敏則有功、公則説。
(『論語』堯曰第二十)

かの孔子こと孔丘先生の引いた古の帝王たち(と孔丘先生ご自身)のお言葉。


「私に罪があっても四方の国々には罪はない。四方の国々に罪があってもその罪は私が被る」
「民に過ちがあっても、それは私一人が罪を被る」


為政者にとって、「お前の罪は俺の罪、俺の罪は俺の罪」なのである。

為政者が天罰や天譴について言及するとしたら、自分たちの過失を天に責められているということを恐れるという文脈しかありえず、洗い流さなければいけないのは為政者の側の心ということになるのである。



もちろんこれはあくまでも古代中国の思想であって、民主主義政治が行われている現代日本には全くそぐわない話であることは言うまでもない。
もっとも、公式の場で災害を天罰と言い出すような為政者が現代日本にいるとも思い難いが。