昨日の訂正

昨日のhttp://d.hatena.ne.jp/T_S/20110225/1298560143ですが、誤りがありました。ごめんなさい。

黄武四年、(孫)權為太子登娉周瑜、(程)秉守太常、迎妃於呉、權親幸秉船、深見優禮。既還、秉從容進説登曰「婚姻人倫之始、王教之基、是以聖王重之、所以率先眾庶、風化天下、故詩美關雎、以為稱首。願太子尊禮教於閨房、存周南之所詠、則道化隆於上、頌聲作於下矣。」登笑曰「將順其美、匡救其惡、誠所頼於傅君也。」
(『三国志』巻五十三、程秉伝)

というわけで、孫登は太子になった直後に芮玄の娘を太子妃に迎え、次に周瑜の娘を太子妃に迎えたという順番だった。
芮玄の娘は早死にしたのだろうか。


それにしても初婚でもないのに程秉が結婚について訓示を垂れるのがなんか面白い。
孫登が笑ったというのは「いや俺初婚じゃねーし」っていう苦笑だったんだろうか。